あなたと恋がしたいだけ


 石畳の坂道をくだり、港へ向かう。カブルーを乗せたスクーターは、街の喧騒を避けるように静かな海岸線を走っていた。クリーム色の塗装はところどころ日焼けして、海風でわずかに燻んでいる。前輪の泥除けには前の持ち主が貼ったであろうステッカーが角を捲れあがったままにされている。
 中古のスクーターはカブルーが免許を取るのと同時に買ったものだった。過保護な養母に知られたときは「そんな危ないものにわざわざ乗らなくてもタクシーを使えばいいのに」と渋い顔をされたが、傾斜の激しい街で暮らすには必要なものだから、とどうにか宥めたものだ。
 夕方の海風は確かに心地よかったが、目的もなくツーリングをしているわけではない。カブルーの目当ては海沿いの道を外れた赤土の田舎道の先にある。そこらに自生したタイムやローズマリーの香りが風にのってカブルーまで届く。
 出発してから、一時間も走っただろうか。スマートフォンのマップアプリで確認するまでもなく、その|《家》はすぐに見つかった。なにせ、周りに何もない中で、ぽつんと一軒だけが建っているのだ。
 カブルーは家の前に立ち止まった。窓の少ない石造りの家で、およそ人の気配というものがない。玄関の扉には小さな貼紙が一枚、風に揺れている。「在宅中」とだけ書かれたその紙を目で追うと、ふと数日前のことを思い出した。夏休み直前の大学構内――木々の間を吹き抜ける風に、掲示板の紙片が揺れていたあの光景だ。

 墨付き括弧に挟まれた募集、という文字。その下にはごくシンプルな要項が綴られている。今日び珍しい手書きで、いかにも几帳面そうな文字だ。右下には大学名と掲出期間の日付印が捺されており、期限が近い。
 
 ――週末の話し相手を募集しています。当方エルフ・男性・百八十五歳。年齢・経験は問いません。継続契約を前提とできる方を希望。交通費、食費、寝具、その他必要な物品などは全てこちらが準備・負担いたします。謝礼は以下のとおり――

 続けて書き込まれていた金額を見て、カブルーは息を呑む。手が滑ってうっかり0を一つ多く書き加えてしまったとしか思えない。割のいいを通り越して、破格と言ってよかった。
 条件がゆるい割に今までこの募集広告が残っているのは、「話し相手」という軽い言葉に反した「高額の謝礼」、そして「年齢経験不問」という条件の組み合わせにいかがわしいニュアンスを感じ取る学生も少なくないからだろう。この金額だったら、話すついでに体まで要求されても文句は言えない。まあ、そんな募集を大学の掲示板にかけるほど浅慮な人間もいないだろうが。
 一番下には連絡先の電話番号と、代理人であろう人物の名前が書かれている。パッタドル。エルフらしい響きだ。本人の名義だけでなく代理人までエルフとなれば、ますます「話し相手」というのも言葉通りの意味である可能性が高い。百八十五歳のエルフといえば、およそカブルーの養母と同じ世代である。エルフにしてはトールマンのことをよく知っている彼女でさえ、未だにカブルーのことを「思春期を迎えたばかり」だと思っている節があるのだ。生まれて二十年そこらの生き物など、エルフにとっては子どもと一緒だ。
 それでも、昨日までのカブルーならばそんな掲示を気に留めることすらなかっただろう。夏休みが明ける頃にバイト先兼下宿としている居酒屋が移転することに決まってさえいなければ。
 気がいい店主に、高額ではないにせよそこそこの給料、大学にも近く、まかないも美味い。カブルーとしてはこれ以上ない好条件のバイトだった。その上、店主の厚意で地下の空き部屋に住ませてもらっていたのだ。よって、カブルーはバイトと同時に住処まで失うことになる。夏休みまであと少しというこのタイミングで、だ。
 友人の家を転々とすることも考えたが、一日二日ならまだしも長期に渡ってそんな浮草暮らしを続けるわけにはいくまい。大学の学生寮だって、こんな中途半端な時期では入寮希望の受付すらしてもらえない。
 半ば自暴自棄でもあった。この募集にあることが事実なら、上手くいけば週末だけでも寝床と食事は確保できそうだ。掲示板の前に立ったまま、カブルーはスマートフォンのディスプレイをタップし、番号を入力した。数コールで相手が電話に出る。
 大学の掲示板を見て、とカブルーが伝えると、相手は素っ頓狂な声をあげた。若い女性の声だ。といっても、実際の年齢はカブルーの数倍上だろう。
『えっ⁉︎ 本当ですか? あのチラシで⁉︎』
「はい」
『なんて奇特な――いえ、とにかくありがとうございます』
 こほん、と電話の向こうの声は咳払いをして、落ち着いた風を装った。短い自己紹介と具体的な日程やバイト内容の確認を済ませ、電話を切る。
 業務内容として説明された内容は、募集広告に書かれているものと大差なかった。拘束時間は金曜日の夕方から土曜日の午前中まで。難しいことはなく、ただ一緒に食事をとったりしながら、彼の話し相手になるだけでいいのだという。
 依頼人はミスルンという陶芸家だということも分かった。芸術家として身を立てられていることや金払いの良さからして、それなりに名のある家の生まれなのだろう、とカブルーは想像した。そう言われるとミスルンという名も、いかにも気難しく繊細そうな響きだ。

 しかし、実際に家を目の前にしてみると、カブルーの想像はあくまで想像の範疇でしかなかったことが分かる。豪奢な門扉もなければ、飾り気もない。質素という言葉を人が住める形にしただけのような家だ。
 インターフォンすらない。家の扉を叩いても中からの応答はなかった。数秒応答を待ったカブルーが、もう一度ノックしようと拳を持ち上げたとき、かすかに何かが軋む物音に続いて木の扉がゆっくりと開き、家主と思しき人物が姿を現した。
 事前の情報がなければ、一瞬、女性だと思ったかもしれない。カブルーよりも頭ひとつ分背が低く、華奢な体躯にサイズの合わない素朴なシャツを纏い、黒いズボンからは裸の足がのぞいている。拭ってきたのだろうが手は粘土にまみれ、灰色のエプロンには乾いた土がこびりついていた。
 美しい面差しであることは間違いなかった。それでも、不思議とそこまで魅力的だと感じられないのは、こちらを見つめる昏い色をした隻眼がカブルーをなんとなく居心地を悪くさせているからだった。もう一方の瞼はほとんど閉じられており、波うつ銀色の前髪がかかっている。
「……カブルーか?」
 中性的な容姿にそぐわない、低い男性の声だった。
「はい」
「パッタドルから話は聞いている」
 ミスルンはふい、と視線を逸らすと、ついてこい、と言うでもなく部屋の奥へと消えていった。カブルーは慌てて後を追う。
 ミスルンの向かった先はいわゆる工房であるらしかった。素っ気ない家の外観から受ける印象とは裏腹に、淡く整った雰囲気がある。棚には器が並び、土を乾かすための木製の台があり、壁は幾枚もの図案が掛かっている。部屋の中央には大きな|ろくろ《・・・》が鎮座しており、奥にあるのは焼成用の窯だろう。土の匂いに焼き上がった陶器の残り香が混じる。
 ミスルンは無言のまま、作業台に座った。
「……あの」
「好きにしていていい」
 カブルーは素直に頷き、壁際の細長いベンチに腰を下ろした。古びた座面は軋んだが、脚はしっかりしている。室内には静かな音だけがあった。ろくろの低い回転音、へらが粘土をこそぐ音、粘土がミスルンの手によって形を変える音。
 ミスルンは言葉を発さないまま、小さな器を成形していた。ゆるやかな形で、外縁に波のような凹凸がついていく。なんとなく魚の骨を想起させる輪郭だった。見るともなしにミスルンの手が土塊を形作り、作品へと昇華していくのを眺める。

 暫くして、ふいにミスルンが手を止めた。
「待たせたな」
 話し相手を募集していた割には、寡黙な男だ。いや、寡黙を通り越して話嫌いであるようにすら見える。カブルーは言葉に詰まったのを誤魔化すように明るい声で話題を切り替えた。
「そうだ、夕食はどうします?」
「……食べたくない」
「そんなこと言わないで、折角ですから一緒に食べましょう。何か作ってもいいですか? 俺だってバケットとチーズを切るぐらいなら出来ますし」
 言いながら、カブルーは冷蔵庫や棚を確認する。ミスルンの体格からして健啖家にも美食家にも見えないから、ある程度予想できたことではあったけれど、中には硬めのパン、いくつかのチーズ、トマト、いくらかの果物、それから瓶詰めのオリーブぐらいしかない。
「……あなた、今までどうやって生きてきたんですか」
 ミスルンはさっと目を逸らした。カブルーだって決して百点満点の食生活を送っているわけではないが、ミスルンの食生活があまりに不健全であることは疑いようがない。
 パンを薄く切り、チーズとトマトを並べてオリーブを添えると、どうにかそれらしいワンプレートに仕上がる。切っただけと言われれば返す言葉もないが、そもそもこれは業務の範疇外だ。文句を言われる筋合いもない。そしてミスルンは褒めもしない代わりに文句も口にしなかった。

「そういえば、自己紹介ってちゃんとしてませんでしたよね」
 皿を片付け終えたカブルーがそう切り出すと、ミスルンは手を止めてこちらを見た。
「……名前は知っている」
「まあそうですけど。でも、やっぱり本人の口から言うのと又聞きしたのとじゃ違うもんです」
 カブルーは椅子に腰を下ろし直した。
「カブルーです。大学生で、歴史を勉強してます」
 一瞬の沈黙。ミスルンが小さく息をついて、短く返す。
「……ミスルンだ」
「この募集を見た時ちょっと驚いたんですよ。話し相手を募集って……正直、最初は冗談かと思いました」
 カブルーが笑いかけると、ミスルンの眉間の皺がほんのわずかだけ和らいだ。すると、硬い表情の下に隠されていたミスルンの優れた容色が綻びから顔をのぞかせる。彼の面差しが整っていることを、カブルーは意識せずにはいられなかった。自分の十倍近く年上の同性だと分かっていても、なお。
「もう少し話しません? お茶、淹れますよ。ええと、カップは……」
「ある。下の引き出しだ」
 カブルーは、言われたとおりに引き出しを開けた。ミスルン本人や家の中の様子からしても、茶葉や茶器にこだわりがあるタイプとは思えない。ティーバッグの一つでも出てくれば御の字だと思っていた矢先、目に飛び込んできたのは小ぶりの木箱に収められた茶葉だった。淡い光を帯びた葉脈の透ける色合い、香り立つ前からそこらで売られているものではないと分かる艶やかさ。質素な夕飯を済ませたばかりだというのに、急に場違いな贅沢が舞い込んできたようで落ち着かない。
「……なんなんですか、あなた。贅沢なのか倹約家なのか分かりませんね」
「?」
 ミスルンは意味がわからない、とでもいう風に首を傾げた。
 陶製のカップはミスルンの作った作品なのだろう。どの器もそれぞれに美しく、作品として完成されているように見える。
 その中に、ひとつだけ異質なものがあった。表面に細かいひび模様が走っている。縁の一部には焼成時に起きたと思われる黒ずみがあり、手に取ると底の部分だけがわずかにざらついていた。
 目についたそれを自分のために、そしてミスルンのためには淡い青緑のグラデーションがかかったものを選んだ。棚の奥から引っ張り出したティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。湯が茶葉に触れるたび、かすかに香ばしく複雑な香りがたちのぼる。ティーバッグであればそのまま提供するところだが、朧げな知識をもとに、なんとなく蒸らしてから陶器のカップに注ぐ。
 ミスルンは、カブルーの持っているカップを一瞥し、やや驚いたように言った。
「失敗作を選ぶとは、物好きな奴だな」
「これのどこが? 変わった柄ではありますが」
「釉薬が弾けてしまっているだろう。土のせいだろうな」
 特別陶芸に詳しいというわけではないカブルーでも、粘土の産地によって含まれる成分や性質が違うということぐらいは知っている。
「へえ、どこの土を使ったんですか?」
「迷宮だ」
 想像もしていなかった答えに、カブルーは一瞬、言葉を失う。
 メリニという国は、かつて地中に出現した巨大な人工迷宮が崩壊し、その地形の上に成り立ったといわれている。迷宮の主を倒した|《悪食王》の名とともに建国神話に語られるこの国では、迷宮は史跡であり、同時に危険な遺物でもある。
 建国時点では周囲の自然迷宮は残されたままだったようだが、現在ではそのほとんどが魔力を失い、百年ほど前からは観光資源として活用されて始めていた。魔力を残す自然迷宮は、政府によって「非接触指定区域」と呼ばれ隔離されている。
 カブルーに限らず、メリニで生まれ育った者ならば、誰でも知っていることだ。だが、目の前の陶芸家がそうした場所から土を持ち帰って使っているらしいという事実に、思考が追いつかない。
「……さすがに、ジョークですよね」
「冗談は苦手だ」
「迷宮の入口は塞がれているはずでしょう」
 現存する自然迷宮はカブルーが生まれる前から全てが政府の管理下にあり、その入口は注意深く封鎖されているはずだ。初代メリニ国王のライオスに与えられた加護のために魔物がメリニを襲うことはないが、それでも今でも迷宮の奥には歩き茸やバロメッツといった魔物たちが息を潜めている——と、言われている。
 魔物の部分はさすがに子供向けのおとぎ話にすぎないだろうが、染み込んだ魔力の残滓が滲み出て、人体に悪影響を及ぼすことは事実だ。カブルーが養母に育てられることになった経緯もそれと無関係ではない。しかし、これはトールマンの人体にという意味だから、ひょっとすると魔力を扱うことに長けるエルフやノームであれば影響を感じないのかもしれない。
「迷宮の出入口なら、政府よりも私のほうが詳しい」
 ミスルンがぽつりと言う。冗談や過大な表現ではなく、実際そうなのだろう。

 妙な人だ。カブルーは借り物のベッドに横たわりながら思う。いつもと違うボディーソープを使ったせいか、肌が妙にすべすべしているような気がする。カブルーが使うように言われたゲストルームも、他の部屋と同様にがらんとしている。ミスルンの家に余計なものは一つもないが、かといって足りないものがあるというわけでもなかった。広いバスルームに、柔らかくて清潔な寝具。不自然なのは、そこにミスルンの生活というものが見えてこないところだ。
 目を閉じると、自然と体の力が抜け、呼吸が深くなる。カブルーはゆっくりと眠りに落ちていった。


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